11月07日のブログに書きました「阿比留瑠比氏の極言御免 中韓が利用、首相の歴史観」に記述されていた「明日への選択 かくも危うい石破首相の歴史認識」日本政策研究センター 岡田邦宏所長の記事です。

 

 こんな歴史観を持っている首相で、中韓とまともに論戦することは出来るわけないと不安で仕方ないです。



歴史認識 

かくも危うい石破首相の「歴史認識」

「あの戦争は間違った戦争」、慰安婦問題は「韓国が納得するまで謝罪」

                岡田邦宏 (日本政策研究センター所長)

 

中国だからこそ起こった事件

 ここ数年、教科書問題や靖国神社参拝問題といった、いわゆる中国・韓国との歴史認識問題が大きな政治課題となってこなかったが、今年に入ってその歴史問題が再燃しそうな事件が相次いでいる。

 

 九月、中国広東省深圳市で日本人学校に通う男子児童が中国人の男に刺殺される事件が起こった。政府はこの事件について動機など事実解明を要求しているが、中国側は「類似の事件はいかなる国でも起きる可能性がある」(外務省報道官)と事実関係の公表を拒否している。しかし、この事件以前にも四月に江蘇省蘇州市で日本人男性が襲われ負傷した事件があり、六月には同じ蘇州市で日本人学校のスクールバスを待つ日本人母子が中国人に切り付けられるという事件(バスの案内人の中国人女性が死亡)が起きている。日本人、しかも子供が連続して襲われる。そんなことが「どこの国でも起きる」ことなのか。中国だからこそ起こった事件と言えよう。

 

 日本国内では中国人による「反日」事件が続いている。五月二十日に靖国神社入り国の石柱に中国人が赤色スプレーで落書きなどをする事件があり、八月十九日にも石柱に中国籍の男による「軍国主義」などの落書きが見つかった。同じ日、NHKラジオの国際放送がこの事件を報じた際、

中国籍スタッフが尖閣諸島を「中国の領土」、「南京大虐殺を忘れるな。慰安婦を忘れるな」などと原稿にない発言を放送するという事件も起こった。

 

 これらは明らかに「反日感情」によって起こされた事件であり、その原因は中国が長年続けてきた「反日教育」にあることは否定できない。

九月に起こった深圳の事件が起きた九月十八日は昭和六年に満州事変の発端となった日、「国恥記念日」であり、靖国神社への冒漬行為は大東亜戦争や日清・日露戦争での日本に対する歪んだ歴史認識の結果でしかないからである。

 

中国共産党が作った反日

 石平氏は小誌九月号で「反日感情」「反日教育」について「この反日感情は七十九年前の先の大戦が原因というより一九八九年の天安門事件」を切っ掛けに危機感を抱いた共産党が推進した「愛国教育」という名の「反日教育」が原因だと指摘している。ちなみに天安門事件はその年の六月、北京の天安門広場に集まって民主化を求めた学生や市民を人民解放軍が武力で鎮圧し多数の犠牲者が出た事件である。

 

 石平氏によれば、その「愛国教育」の結果、教科書記述が大きく変わり、「九〇年代以前は日本との戦争の話は『主に共産党が日本軍と勇敢に戦った』という記述」だったが、「九〇年代以降になると、明らかに重点が日本の残虐行為―例えばいわゆる『南京大虐殺』に関する記述がすごく増えました。しかも教師たちに配る手引き書などにも、『南京大虐殺』については日本軍の残酷さを生徒たちに生き生きと語り聞かせて生徒たちの感情を喚起することが授業の狙いだと。要するに、歴史を教えるということではなくて、歴史を材料にして、反日感情を煽り立てるのが目的であるということです」と。

 

 さらに習近平政権になると、この五、六年は戦狼外交という言葉に象徴されるように対外政策が攻撃的となり、それにともなって中国の投稿サイト微博(ウェイボ)には「日本人は出ていけ」「日本人学校はスパイ養成学校だ」などと言った日本人への憎悪に満ちた投稿があふれるようになった。しかも中国政府はそれを規制しなかつた。

 その結果、日本人が傷つき国家の名誉が損なわれる事態が起きているわけで、中国の歪んだ歴史認識が政治課題とならざるを得ない事態に立ち至っていると言えよう。

 

 来年は戦後八十年を迎える。十年前の戦後七十年の際、安倍首相は近代日本の歩みを総括するとともに「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べた。では、来年夏呆たして石破首相はどのような首相談話を出すのだろか。まさに首相の歴史認識が問われている。

 

韓国の「納得を得られるまで謝罪するしかない」

 総裁選ではその点がまったく問題視されなかったが、石破首相は歴史認識問題において、日本の首相としてだけでなく一人の国会議員としてもその資質が疑われる歴史認識の持ち主であることはあまり知られていない。

 

 実は、その点は日本以上に韓国でよく知られている。石破氏が自民党総裁選で当選した際、韓国メディアは概ね歴史認識を理由に首相就任を歓迎した。具体的に言えば、石破氏は平成二十九年五月、韓国紙。東亜日報のインタビューで、慰安婦問題では「日本は韓国の納得を得るまで謝罪し続けるしかない」と述べたことにある。石破氏の話した日本語を韓国語に翻訳した記事を再度日本語に訳し直したサイトがあり、それによると石破氏はこう述べている。

「慰安婦問題について日本にも多くの意見がありますが、人間の尊厳、特に女性の尊厳を侵害したという点において、あってはならないことであり、謝罪すべきです。ただ、何度も……謝罪の意を明らかにしても、韓国で受け入れられていないことについては不満も大きい。それでも、納得を得られるまでずっと謝罪するしかないでしよう」と。

 この石破インタビューについて産経新聞が内容を確認したところ、石破氏は「『謝罪』という言葉は一切使つていない。『お互いが納得するまで努力を続けるべきだ』と話した」と言い、記事の内容は修正したものの、抗議も修正要求もしなかったという。

 翻訳にニユアンスの違いがあったとしても、東亜日報の「韓国が納得するまで日本が謝罪する」と、産経新聞の「お互いが納得するまで努力」とはまったく意味が異なる。それでいて是正処置は一切取らないというのだから、「納得を得られるまでずっと謝罪」との発言は確かにあったと理解する方が自然で事実に即したものと言える。

 

 韓国メディアの慰安婦問題認識は、勇気ある研究者らによってその主張は既に論破されているが、未だに二十万人が強制連行され性奴隷にされたというもの。しかも、日本国内ではこのインタビューの三年前に、河野談話の検証が行われて談話を根拠とした強制性が否定され、さらに朝日新聞が慰安婦を強制連行したと証言した吉田某関連の記事をすべて取り下げて謝罪した。つまり日本では慰安婦問題はほぼ決着していたなかでの「納得を得られるまでずっと謝罪」という石破発言は迎合的で異様という他ない。

 来年は日韓国交四十年の節目でもある。日韓併合百年の際は、菅直人首相がわび証文のような談話を出した。石破首相は「納得を得られるまでずっと謝罪」するという談を出すのだろうか。

 

あの戦争は「間違った戦争」

 これとよく似た問題は中国に対する歴史認識でも見られる。石破氏が韓国に謝罪しなければならないと述べた八年前の平成二十年、福田康夫内閣の防衛大臣に就任した石破氏は中国共産党系の新聞「世界新聞報」のインタビューを受け、信じがたいほど歪んだ歴史認識を語り、ここでも「日本は中国に謝罪すべき」と言っている。その一部を紹介しよう。

「第二次大戦の時に日本の戦争指導者たちは、何も知らない国民を戦線に駆り出し、間違った戦争をした。だから、私は靖国神社に参拝しない。あの戦争は間違いだ。多くの国民は被害者だ」

「日本には南京大虐殺を否定する人がいる。三十万も殺されていないから南京大虐殺そのものが存在しないという。何人が死んだかと大虐殺があったかは別問題だ」

「日本には慰安婦についていろいろな見解があるが、日本軍が関与していたことは間違いない」

「(中国は日本に対する脅威であるから対中防衛を強化せよという人たちは)何の分析もしないで、中国は日本に対する脅威だと騒いでいる」

「日本は中国に謝罪するべきだ」

 

 現職閣僚が大臣執務室で中国メディアにこのような発言をしたことは信じがたいが、このインタビューを渡部昇一上智大学名誉教授が「石破防衛大臣の国賊行為を叱る」と批判した(『Will』六月号)。それに対して石破氏は「防衛大臣として真意を語ろう-我、『国賊』と名指しされ」という対談形式の反論を行っている(『正論』九月号)。

 渡部名誉教授はこう批判する。日本が大東亜戦争に追い込まれた理由の一つは日本発の誤った情報を否定し正さなかったこと、また「一度、謝って言質をとられたら後々まで尾を引く」。「『中国に対して謝罪すべきだ』と言うような防衛大臣が指揮する中で日本の自衛隊が奮い立てるでしょうか」と。だから「国賊行為」だと批判したというのである。

 

 渡部名誉教授の批判を踏まえた上でさらに言えば、謝罪の前提となっている歴史認識にしても何とも薄っぺらな主張というしかない。戦争指導者たちが「何も知らない国民を戦線に駆り出し、間違った戦争をした」というのは安物左翼の宣伝文句という他ない。そもそも学問的な意味での大東亜戦争の世界史的な位置づけは、米側にも「正しい戦争」かどうかという自省的評価があるなかで、日本人が「間違った戦争」などと済ませてよい問題ではない。

 また、「悪いのは戦争指導者」「国民は被害者」だから、戦争指導者(刑死したA級戦犯)を祀っている靖国神社には参拝しないと石破氏は言う。しかし、それは中国共産党の理屈そのものである。

 

 ごくごく簡単に言えば、日中国交回復のとき、首相の周恩来は戦争を起こしたのは「一握りの軍国主義者一(つまりはA級戦犯)であり、戦争の被害者でもある「一般の善良なる日本人民」とを分けて考えるべきだと主張して日本との国交を回復した。だから、中国共産党からすれば、日本の首相が靖国に参拝すればA級戦犯の戦争責任を曖味にするものだと参拝を批判したわけである。そんな理屈は日本には適用できない。国民の大多数は首相が靖国に参拝して英霊を慰霊することを希望し、周恩来が言う「一般の善良なる日本人民」はそもそも靖国に参拝しない少数でしかない。確かに大東亜戦争の被害は甚大だったが、開戦の際多くの日本人が万歳して喜んだことも否定できない事実である。

 こうみてくると、A級戦犯が祀られているから参拝しないという石破氏の考え方はまさに中国共産党の言い分そっくりと言える。

 

「大虐殺」はあった?

 いわゆる「南京大虐殺」についても、「何人が死んだかと大虐殺があったかは別問題だ」という。この石破氏の主張は犠牲者数と関係なく大虐殺はあったと暗に示唆している主張と言える。

確か世界には数人でも虐殺という考え方もあるらしいが、中国側の言い分はそんな生やさしいものではなく、子供や女性を含めた市民と抵抗をやめた兵士が三十万人殺された、その「三十万人」を疑問視することは許されないというものである。

 

 一方、日本では左翼学者でもさすがに「三十万人」は採用せず、むしろ記録された事実とその解釈を巡つて論争が戦わされ、その結果、南京城内外では子供や女性など市民の犠牲者は極めて少なかつたことが分かり、さらに便衣兵などの扱いを巡る事実関係と法解釈が議論されている。いまだに南京という戦場で起こった詳細な事実関係については未決着の部分があり、いわゆる「大虐殺」が戦場で起こりうる不祥事となる可能性もあるというのが現状ではあるまいか。控えめに言っても、議論の方向性が見えてこないなかで、日本の防衛大臣が「大虐殺はあった」と示唆するのは中国寄りと言われても仕方あるまい。

 

石破氏の言う「国益」とは何か

 むろん、石破氏が南京問題でも慰安婦問題でも文献を読んで、考えを発表することは自由ではある。しかし、日本の閣僚(防衛大臣)の発言であれば相手方が都合の良い部分は一部を切り取っても世界に宣伝されることは常識に属する。かつて慰安婦問題で河野洋平官房長官の発言が慰安婦は強制と受けとめられ世界中で利用された。

 

 閣僚であるなら国益を踏まえた発言が必要だが、『正論』に掲載された石破氏の渡部教授への反論には、事実認識の問題というよりそうした政治家としての資質が欠落していると言わざるを得ない部分が読み取れる。聞き手(潮匡人氏)と石破氏の応答の一部を紹介しよう。

潮「(いろいろ記録が残っていてその記録からすると)その程度で『南京大虐殺』があったというのも……。」

石破「大虐殺があったとはいっていないよ」

潮「ですが、そう相手に受け取られる対応も、事実関係で日中間に隔たりがある以上、国益の擁護者として慎重であるべきではなかつたかと」

石破「……きちんとした歴史の検証は必要でしょう。だからこそ、その際に『大虐殺はなかった』とか『狭義の強制性はなかった」ということでどんな国益がえられるのか。逆にそう思うんですね」

ああ言えばこう言う式の議論の典型で、実は石破氏は「国益の擁護者として慎重であるべき」との質問に答えていない。そればかりか「大虐殺はなかった」とか「狭義の強制性はなかつた」ということでどんな国益が得られるのかと論点をずらしている。

 日本の防衛大臣が中国共産党系の新聞のインタビューで南京に関して「何人が死んだかと大虐殺があったかは別間題だ」と発言すれば、事実上、石破氏が「大虐殺があった」と認識していると書かれても仕方がないところと言えよう。

 

 むろん、それとは逆の発信を日本の閣僚がすれば、中国も韓国も反発するだろうが、しかし、事実に基づいた発信であれば、日本の名誉と長い目で見た国益は守られる。もし「大虐殺はありました」「狭義の強制性もありました」(つまり軍が強制連行した)と言えばその場の一時的な衝突は避けられたとしても、事実に基づかない発言は時間とともに信頼性を失い国益を損なうこととなるのではあるまいか。

 そのことは石破氏自身の発言のその後の推移によって裏付けられている。慰安婦問題で「そうした声高な議論がアメリカで何を引き起こしたか。現に厳しい日本批判となった」「(狭義の強制連行の証拠はないと思うが)まったく関係していなかったわけではない。それを否定すると国際社会での日本の立場が非常に難しくなる」とこの前年言っている。

 確かに慰安婦問題で米下院が日本批判の決議をした。石破氏の言い分を借りれば、とりあえず批判決議を受けて事実を枉げて決議の一部を認める対応をして、日本批判を鎮めるべきだということになろう。

 

 しかし、事実は違った。国際的な風当たりは強かったが、当時の安倍政権はだからといって強制連行も性奴隷も認めなかった。だからこそ、第二次安倍政権では河野談話の検証を行い、朝日新聞の記事取消しにつながったが、それについて米国政府も議会も何も問題視せず、国内での慰安婦論義は一段落したと言える。その意味で石破氏の歴史認識に関わる国益観念は何とも浅薄なものと言わざるを得ない。

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 石破氏の歴史認識を巡る発言やブログ記事はまだあるが、その薄っぺらな認識には失望を禁じ得ない。しかも、「国益を守る」立場を忘れて、その軽薄な歴史認識を押し通す。首相ともなればそんなことはないと信じたいが、この政治家にはまっとうな意味での国益意識があるとは思えない。呆たしてこの石破氏で大文夫なのだろうか。