10月12日、今日は昼過ぎまで御朱印マラソンです。
『西大寺』平城京の東に「東大寺」そして西にあるのが「西大寺」ですね。天平神護元年(765年)の建立です。
『法華寺』聖武天皇の建立の詔のお話は「東大寺」の記事に記載しています。少し離れた場所にありますので参拝者は少ないです。幹線道路から離れていますのでとても静かです。中国風の大伽藍ではない、尼寺らしくこじんまりとしたお寺でとても雰囲気が良いお寺でした。(写真は、お庭の菩提樹の実で、葉っぱから枝が伸びて実がついているようです。でも、実のついていない葉っぱはハート型でふちがギザギザしたものでした。不思議な生態ですね。なお、写真に収めたものは、枯れて枝から離れ下の枝に引っかかっていたもので、枝から引きちぎったものではありません。)
『唐招提寺』天平宝字3年、鑑真和上が私寺として開かれたお寺です。鑑真和上の苦難に満ちた来日と、金堂のエンタシスの列柱で有名ですが、私は僧となるための受戒が行われていた戒壇に心惹かれました。もしかして私の前世は当時の僧侶だった?
『薬師寺』天武9年(680年)天武天皇の発願により飛鳥藤原京に建立されましたが、平城遷都に伴い養老2年(718年)に平城右京に移されました。度重なる災害によって昭和初期には東塔だけが往古の佇まいを残していました。昭和42年(1967年)高田好胤管主により白鳳伽藍の復興が発願され、金堂、西塔、中門、回廊、大講堂、食堂を再建。白鳳伽藍の壮麗な美しさがよみがえりました。すさまじいご努力で復興を成し遂げられた高田好胤管主及び続けてこられた皆様に感謝します。なお、高校生の頃に当寺で高田好胤管主の講和を伺った記憶がありますが「よくしゃべる坊さんだな~。」が感想でした。
『大安寺』聖徳太子(574~622年)が創建された熊凝道場を起源として舒明11年(639年)舒明天皇が聖徳太子の遺志を継いで百済大寺を建立され、高市大寺、大官大寺と名と所を変え、天平17年(745年)名を改め大安寺となりました。その後何度も火災や地震にあい、16世紀には廃寺同然となりましたが、その後復興が進み現在の姿となりました。こちらも、多くの人々のご努力に感謝します。なお、今は癌封じのお寺として信仰を集めています。薬師寺から大安寺まで送ってくれたタクシーの運転手さんも毎月一回お参りしているとのことでした。
以上が、10月12日に御朱印を頂いた神社仏閣です。2024年の今、1200~1300年前の寺社が今だに信仰を集めていて、その歴史遺物に会える幸せに感謝します。
日本人は幸せですね。