初めての1日2本です。先ほど上げた記事の「安和桟橋事故」についてご存じない方も居られるかと纏め記事を探しましたところ、全体像を明確に描かれている記事がありましたのでそちらをご紹介ということで、よろしくお願いします。
思想・言論誌『表現者クライテリオン』
という雑誌のホームページに掲載されている藤原昌樹氏の署名記事です。藤原様、記事を勝手に使ってごめんなさい。でも、この記事は拡散すべき内容ですのでご了解いただけると幸いです。
こんな保守系の雑誌があったんですね。知りませんでした。雑誌の購読は難しいですが、ネット記事の方は拝見させていただきたいと思います。
1.07.12🔗醜悪な姿を晒し続ける平和主義者たち ―安和桟橋におけるダンプカー死傷事故を巡って―(前半)
2.07.12🔗醜悪な姿を晒し続ける平和主義者たち ―安和桟橋におけるダンプカー死傷事故を巡って―(後半)
※こちらの記事と次回の記事については藤原様から掲載をご了解いただいたものとして掲載いたします。ただし、写真やネット記事上における写真と文字の配列等も著作権が絡むようなので、文章の掲載だけにさせていただきます。藤原様、申し訳ございませんが、ご了解ください。
【藤原昌樹】醜悪な姿を晒し続ける平和主義者たち ―安和桟橋におけるダンプカー死傷事故を巡って―(前半)
藤原昌樹
2024.07.12
起こるべくして起こった事故-普天間基地移設工事のダンプカー死傷事故
2024年6月28日の午前10時10分頃、沖縄県名護市の安和桟橋の作業ヤードの出入口で、辺野古の新基地建設に使う土砂を搬出していたダンプカーが抗議活動中の女性と警戒に当たっていた民間警備員の男性を巻き込む事故が発生し、女性が足の骨を折る重傷を負い、男性が死亡してしまいました(注1)。
現場は沖縄本島西海岸の名護市安和港付近です。この港には周辺から切り出された土砂がダンプカーで運び込まれ、その土砂を桟橋から船に積み込み、その船が沖縄本島をぐるりと回って埋め立て用のそれを東海岸の辺野古沖へと運んでいます。
写真:死亡した警備員 女性を引き留めようと巻き込まれたか 安和桟橋での事故 | 沖縄タイムス+プラス (okinawatimes.co.jp)
【図解あり】名護市安和ダンプ事故 現場カメラに事故時の映像 沖縄県警、分析すすめる – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
捜査関係者によると、現場付近に設置された記録用カメラで事故の状況が撮影されており、現在、沖縄県警がカメラ映像をもとに事故原因の調べを進めているとのことですが、事故の流れは概ね下記の通りであったと考えられています。
• 抗議活動をする1人の女性がダンプカーの進行方向の左前方からダンプカーの前に飛び出して牛歩で横切ろうとした。
• 警備員がその女性を制止して連れ戻した。
• その様子を見ていた別の女性がダンプカーの前に飛び出し、それに気づいた警備員が当該女性を制止して連れ戻そうとした。
• 別の警備員による合図でダンプカーが発進し、ダンプカーの前に飛び出していた女性と彼女を連れ戻そうとしていた警備員の2人が巻き込まれ、女性が足を骨折する大怪我を負い、男性警備員が死亡してしまった。
事故発生直後、ダンプカーの運転手は「別の警備員の合図で発進した」と話しており、ダンプカーの右前方の位置にいた別の警備員が、桟橋前の国道を名護市屋部方面から本部町向けに走行する車両の有無を確認した上で合図を出したとみられています。
女性と警備員の2人がダンプカーの前にいたにもかかわらずに発進してしまったのは、運転席が高い位置にあるために(近づき過ぎていた)2人が死角に入っていたからではないかと言われており、運転手が視認できていなかった可能性が指摘されています。
普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画を巡っては、辺野古の米軍キャンプ・シュワブ前で抗議の座り込みが続いているほか、2018年から土砂の搬出作業が始まった名護市安和(今回の事故現場)や本部町塩川の搬出港付近で、市民団体のメンバーがプラカードを持ってダンプカーの前をゆっくりと横断する「牛歩」戦術で土砂の搬出を遅らせようとする抗議活動が続けられています。
抗議するために集まる人数は日によってまちまちですが、多い時には数十名ほどになることもあります。国道から土砂を積んだダンプカーが来て港に入ろうとすると、抗議をする人が入口の前をゆっくりと「牛歩」します。その間、ダンプカーは停止せざるを得ません。「牛歩」が過ぎると港に入り、桟橋で土砂を降ろして国道に戻るのですが、その際にも「牛歩」が行われます。
大型車であるダンプカーは死角も多く、その前を「牛歩」で横断して妨害するという抗議方法を巡っては、その危険性を指摘する声も少なくありませんでした。
事故を防ぐため、沖縄防衛局が契約する警備会社の警備員が毎日警戒に当たっています。
普段から辺野古移設工事で石材の搬出作業に従事し、今回の事故直後の現場を目撃したダンプトラックの運転手が、取材に対して「1年程前に警備会社が変わり、土砂搬入のスピードアップを図って無理な誘導が増えていた。いわゆるヒヤリハット事例が何度もあった」「工期のスピードアップの指示が上からあったようで、危ない事案が増えた。ただ事故の責任は運転手が問われるということで、大半の運転手は無理な誘導に従っていなかった」「日々危険を感じることがあった」と証言していたと報道されています(注2)。
この度の事故は「起こるべくして起こった事故である」と言わざるを得ません。
なぜ「牛歩」による妨害行為を取り締まることができないのか
普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対の立場をとる沖縄のマスメディアでは、事故原因を「警備員による無理な誘導」や「政府が強硬に工事を推し進めていること」に求める論調が多く見受けられますが、ダンプカーの前をゆっくりと横断する「牛歩」戦術といった危険な方法での抗議活動が行われていること自体が一義的な事故原因であることは火を見るよりも明らかなことです。
私自身がその1人であったのですが、「なぜ危険な『牛歩』戦術による抗議行動を取り締まることができないのか」と疑問に思われた方も多いのではないでしょうか。
安和港や塩川港付近で「牛歩」戦術による抗議活動が行われていることは周知の事実であり、防衛省や沖縄県警も実情を把握し、その危険性を認識していました。
しかしながら、現状では抗議活動そのものを取り締まる法的根拠がなく、防衛省関係者は「妨害行為であることは明らかであり、警察もそばにいるが手が出せない」「あくまで歩行者なので通行妨害にはならず、取り締まることができない」「警備員が『車両が通りますので』と言って抗議者を止めることも、歩行者の通行の妨げになるためできない」と指摘しており、捜査関係者は「座り込んだり、寝転んだりといった道路における禁止行為がない限り、法令に基づく取り締まりは難しい」と明かしています(注3)。
沖縄県の玉城デニー知事は、記者会見で牛歩戦術という抗議手法について認識を問われた際に「法的根拠がないので特段の対応は行っていない」と繰り返すのみであったと報じられています(注4)。
今回の事故の発生を受けて、玉城知事は「県民の安全に責任を持つものとして、極めて遺憾である」として、亡くなられた男性の冥福と怪我をした女性の一刻も早い回復を祈るコメントを発表しました。また、「事故原因が究明され、安全対策が取れるまでの間は、沖縄防衛局に対して工事のための土砂搬出作業を中止するように求める」との考えを示し、工事現場周辺で抗議活動を行う市民らに対して「法令を遵守し、地域住民の安全安心に配慮していただきたい」と呼びかけています(注5)。
玉城知事が「県民の安全に責任を持つ知事」として、沖縄防衛局に対して「事故原因が究明され、安全対策が取れるまでの間は作業を中断すること」を求めることは至極当たり前の手続きであるように思えます。
しかしその一方で、たとえ県知事に抗議活動を禁止する権限がなく、取り締まるために必要な法的根拠が未だ整備されていないのだとしても、非常識で危険な抗議活動をする輩に対して、遠慮がちに「地域住民の安全安心への配慮」を求めるだけではなく、強く非難することで彼らを諫めて危険な抗議活動を止めさせるように努めるのでなければ、「県民の安全」への責任を果たしていると言うことはできません。
7月10日の沖縄県議会本会議において、2022年12月以降、今回の事故が起こってしまった安和の港湾を利用する事業者側が、沖縄県に対して「抗議者が事故に巻き込まれないように安全対策としてガードレールを設置して欲しい」「自ら費用を負担するのでガードパイプを設置させてほしい」と何度も要請していたこと、しかしながら、その事業者側からの要請に対して、県が「歩道であることからガードレールを設置する予定はない」「事業者によるガードパイプの設置は歩行者の横断を制限することになる」として認めていなかったことが明らかにされました(注6)。
また、県は昨年(2023年)2月17日、安和港と同じく「牛歩」による抗議活動が行われてきた本部町の本部港塩川地区に、「大型車両の往来を妨害する行為」が県港湾管理条例で定める禁止行為に該当する旨を明記した警告看板を2枚設置し、禁止行為を行った場合は「条例に基づき過料を処することがある」と警告をしていました。しかし、市民から「何故、過料を科すのか」などと「厳しい意見」が寄せられたとして、県は現場を確認した上で「状況は危なくない」と判断し、設置から約2ヵ月半後の5月2日に撤去していたことも併せて明らかにされています。
沖縄県が、安全対策を求める事業者側からの要請を認めなかったことや市民―恐らく、いわゆる地域住民としての「市民」ではなく、抗議活動をする運動家としての「市民」―からの「厳しい意見」に応えて警告看板を撤去してしまったことは、「県民の安全」に対する責任を果たすどころか、その責任を放棄し、抗議活動を支援するために県民を危険に晒す行為であり、断じて見逃すことができるものではありません。
…後半に続く(後日配信)
醜悪な姿を晒し続ける平和主義者たち ―安和桟橋におけるダンプカー死傷事故を巡って― (後編)
藤原昌樹
2024.07.13
自己弁護に終始する平和主義者たち
この度の悲しい事故は、たとえ事故を起こしたダンプカーの運転手や誘導していた警備員に多少なりとも何らかの過失があったとしても、「牛歩」戦術という無謀で危険な抗議活動が行われていることによって引き起こされた事故であることは明らかです。
しかしながら、抗議活動をする市民団体やその周辺からは「警備員による無理な誘導」や「反対する声や抗議があるにもかかわらず、強硬に工事が推し進められていること」に事故原因を求めて政府の責任を追及する声は上がるものの、危険なやり方で抗議活動をしてきたことによって人命が失われる事態を招いたことを悔いたり、自らを省みたりする様子は見られず、自己弁護に終始しているように見受けられます(注7)。
抗議活動をしている市民有志らは、事故発生の翌日29日に追悼式を開き、「絶対に起こしてはいけない事故だった。亡くなった男性やご家族、ダンプカーの運転手のことを思うと本当につらい。工事をストップすれば、私たちが抗議をする必要もなくなるのに」「当たり前だが、安全に気を付けて抗議してきた。本当に残念だ」と語っています。
「牛歩」戦術による抗議活動をしている市民団体のメンバーは、産経新聞の取材に応じて「(牛歩による抗議活動は)危険な行為ではないという認識だ」「現場では、牛歩で抗議者が道路を横断し終わると、警備員がダンプカーに合図を送り、1台だけ出すという『暗黙のルール』があった」「その『暗黙のルール』に従わず、安全確認もされないうちに2台続けてダンプカーが発進することもあった」と語り、「警備員の合図に問題があったのは明らかだ」との認識を示して「(抗議活動をしている)これまで6年間、事故はなかった」と強調し、「十分な安全確認をせずに(警備員が)合図を出し、それに従って(運転手が)発進した」として、ダンプカーの運転手や警備員に非難の矛先を向けて責任を押し付けています。
この度の事故と県内で相次ぐ米兵による性的暴行事件を受けて、7月4日には「沖縄を再び戦場にさせない県民の会」が那覇市の県庁前で緊急抗議集会を開催しましたが、その会場では「許せない!」「新基地建設を急ぐ防衛省の責任だ」などと書かれたプラカードを掲げる人の姿も見受けられました。
集会では今回の事故で重傷を負った女性が所属する市民団体のメンバーが登壇し、「私たちは小学生のように手を挙げ、(ダンプ)トラックの運転手と目を合わせながら確認して毎回(道路を)渡っている。だから事故は起こりようがない」と強調し、「ちゃんと安全確認しない限りは絶対に(ダンプカーを)出しちゃいけない」「(『暗黙のルール』に反して)安全が確認されないうちにダンプカーが発進したことが原因で事故が起こった」との見解を示して、危険なやり方で抗議活動をする自分たちの非や責任を認めて反省することはなく、あくまでも事故原因は安全確認を怠った警備員とダンプカーの運転手にあるとして、強引に工事を推し進める政府の責任を訴えていました。
『沖縄タイムス』は7月3日付の社説で、今回の事故について「尊い命を奪う重大な事故だ。あってはならないことであり、このまま危険な状態を放置することは許されない」と論じています(注8)。
「牛歩」戦術による抗議行動については「現場では、抗議する市民が毎日のように港の出入り口をゆっくり歩き、ダンプの行く手を一時的に妨げてきた」「作業を少しずつ遅らせ、工事全体を長引かせるためだ。その間に政治や国際情勢が変化すれば、政府は新基地建設を断念するのではないかと期待した行動である」「(選挙や県民投票で)新基地建設反対の民意が示されてきた。それでも政府は工事を止めない」「市民は直接行動するしかないのだ」として、危険な抗議活動を諫めるのではなく、それどころか肯定する主張を展開しています。
そして、「抗議が長期にわたるのは、県民の理解や納得を得ずに工事を強行してきた政府に責任がある」「この2ヵ所(現在作業を中断している安和桟橋と本部港塩川地区)に限らず、辺野古のキャンプ・シュワブゲート前でも抗議する市民と警備員の衝突は続いている。事故は再び起きる恐れがある」として政府の責任を追及し、全ての作業を中断して工事の在り方そのものを見直すことを求めています。
醜悪な振る舞いとともに語られる「平和主義」の理想は誰にも届かない
これまでにも何度か論じてきましたが、私自身は「普天間飛行場の名護市辺野古への移設」について反対しています。その理由は、いわゆる平和主義者たちが唱える「全ての軍事基地がなくなりさえすれば、平和が実現する」といった「夢物語」に基づいてのことではありません。現在政府が推し進めようとしている「辺野古移設の計画」が、「我が国が独立国に相応しい防衛・安全保障体制を確立すること」に寄与するものではなく、防衛・安全保障の面でアメリカに依存している現在の「半独立」の状態を永続化することに繋がってしまうと考えているからであり、「我が国の自衛隊を中心とする防衛・安全保障体制の確立を目指すべきである」と考えてのことです。
私自身は、決して「平和主義」に基づく「夢物語」に与することはできませんが、「普天間飛行場の名護市辺野古への移設」に反対するという一点においてのみ、「平和主義者たちと共同戦線を張ることができるのではないか」と妄想したり、淡い期待を抱いたりしたことが、これまで全くなかったと言えば嘘になってしまいます。
しかしながら、現在、「平和主義」の名の下に沖縄で行われている抗議活動において、たとえ現行の法律に抵触しておらず、罪に問われることがないのだとしても、「牛歩」戦術といった非常識で危険な方法を採用し、(抗議活動の参加者ではない)警備員を巻き込んで死に至らしめてしまったにもかかわらず、自らの非と責任を何ら認めることなく自己保身に奔走し、恬として恥じることがない彼らの姿勢には共感することも賛同することもできるはずがありません。彼らと共闘することなど、とても無理な話です。
現時点では事故に関する検証が終わっておらず、事故を起こしてしまったダンプカーの運転手と誘導していた警備員、そして「牛歩」を止めようとして亡くなられてしまった警備員に何らかの過失があったかどうかについて予断や軽率な発言は差し控えなければなりませんが、今後、(過失・無過失をも含めて)何らかの形で彼らに対して法的な責任が問われることになる可能性を否定することはできません。
また、たとえ法的な責任がないと認定されて罪に問われることがなかったとしても、業務上の出来事であるとはいえ、亡くなられた警備員の死の場面に直接関わってしまったことについて、運転手と誘導した警備員が少なからず罪責感を抱いてしまうかもしれないということは想像に難くありません。
亡くなられた警備員の方が、今回の事故の被害者であることは論を俟ちませんが、事故を起こしてしまったダンプカーの運転手と誘導していた警備員も、無謀な抗議活動によって引き起こされた悲劇の被害者の一人であると言えるのではないでしょうか。
「牛歩」戦術といった無謀な方法で抗議活動を行ってきた人たちが自らの非と責任を認めることなく、あくまでも事故原因は安全確認を怠った警備員とダンプカーの運転手にある―亡くなられた警備員にも何らかの過失があったということを暗に含んでいる―と主張し続けることは、不幸にして事故の当事者となってしまった運転手と警備員の苦悩に追い打ちをかけ、被害者である亡くなられた警備員、そして大切な家族を失い、深い悲しみに苛まれているご遺族の方々をさらに鞭打つかのような極めて酷薄な行為であるように思えます。
事故が起こってしまった後に、抗議活動を行っている市民団体や組織によって行なわれた追悼の集いや緊急抗議集会などでは、亡くなられた警備員の方の冥福を祈る言葉が語られ、黙祷が捧げられていましたが、自らの非と責任から目を背けて自己保身に奔走する輩によって捧げられる祈りの言葉は空疎に響くばかりです。
「普天間飛行場の名護市辺野古への移設」に反対して抗議活動をしている人々が事故後に語っている言葉に耳を傾けていると、彼らは今回の事故の原因が無謀な抗議活動のやり方にあることを否定して「政府が強硬に工事を推し進めようとしていること」に事故原因を求めて、不幸にして起こってしまった今回の事故そのものを「政府の責任を追及すること」や「辺野古移設に反対する運動」「平和主義に基づく非現実的な理想を追い求める運動」に利用しようとしているかのように思えてなりません。
残念ながら、今回の事故では警備員の方が亡くなられてしまいましたが、警備員の男性ではなく抗議活動をする女性が亡くなられていた、もしくは2人とも亡くなられていたとしても何ら不思議ではない状況にあったのであり、女性が(足を骨折してしまったものの)命に別状なく助かったというのは、まさに「不幸中の幸いであった」と思います。
もし抗議活動をしていた女性が亡くなってしまっていたとしたら、裁判でも敗訴が続いて低迷し始めている「辺野古移設に反対する運動」の殉教者の如くに祀り上げられてシンボルとなり、「沖縄における基地反対運動」を再び盛り上がることに寄与することになっていたに違いありません。今回の事故を巡って、沖縄で基地に対する抗議活動を展開している活動家たちが発する酷い言葉を聞いていると、あくまでも私の想像でしかないのですが、彼らの中には「亡くなられたのが警備員の男性であり、抗議運動をする女性ではなかった」ことを残念に思っている輩が少なからず存在しているのではないかと思えてなりません。
私たちが「法を犯し、罪に問われることを厭わずに行動しなければならない場面」や「自らの生命を賭して行動しなければならない場面」―例えば、愛する家族や友人を守るために犯罪者に立ち向かう、自分の祖国や故郷を守るために侵略者に立ち向かうなどといった「危急存亡の場面」に遭遇してしまう可能性は決して高くはないのかもしれませんが、完全に否定してしまうことができるものではありません。
しかしながら、現在の沖縄は、基地問題を巡って誰かが生命を賭して行動しなければならない情況にあるという訳ではなく、ましてや「自らの生命ではなく他者の生命を犠牲に供する」などといったことは決して許されるものではないことは明らかであるように思えます。
「命どぅ宝(ぬちどぅたから)=命こそ宝」という言葉を信条に掲げる沖縄の「平和主義者」たちが、その信条に従うのであれば、自分たちの無謀な抗議活動が一人の人間の生命を奪ってしまったという事実に真摯に向き合わなければならないはずなのですが、事故後の彼らの言動からは、彼らが必死にその事実から目を背けようとしているとしか受けとめることができません。
自らの非と責任を省みることなく、自己弁護に努めて奔走し、さらにはこの度の悲劇を自らの政治的主張を訴えるための道具として利用しようとする彼らの姿は醜悪そのものであり、その醜悪さに嫌悪感を抱くなということが、どだい無理な話です。
彼らの無責任で醜悪な振る舞いに強い憤りを覚えずにはいられません。
沖縄を舞台に活動する「平和主義者」たちが、自らの醜悪な振る舞いに無自覚のままで居続けるのであれば、たとえ彼らが美辞麗句を並べ立てて高邁な「平和主義」の理想を語ったところで、その言葉は誰にも届かないのではないでしょうか。
この度の事故でお亡くなりになられた男性のご冥福と怪我をされた女性の一日でも早い回復を祈りつつ、筆を置きたいと思います。