私は幼稚園に通っていた頃、一緒に暮らしていた父方の祖父が亡くなった折に、子供心に「死ぬって何?」と思いっきり悩みました。そのことを考えると怖くて突然泣き出して、家族から「どうしたの!」と心配をかけました。
そして幼稚園児が出した結論は「死とは、ずーっと眠ること」。「眠ること」なら怖くありません。だって、毎日眠ってますから。
そういうわけで、私は死ぬことに恐怖はありません。ただ、死に方だけが心配です。「痛い」とか「苦しい」とかは、嫌ですね。「眠るように」逝きたいものです。
今は人生100年時代と言われていますが「生きていくためにお金がいくら必要だ」「介護でどうのこうの」的な話題ばかりですが、そろそろ「如何に死ぬか」を考える時代になったと思うのです。
産経新聞で「安楽死」についての連載記事がありましたが、本日、第1弾が終わりましたので、ブログに掲載します。私同様、高齢者の方にはとても関心のある話題ではないでしょうか。
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1.11.24🔗「素晴らしい旅へ」注射30分で息引き取る、68歳で安楽死した認知症妻 夫「救われた」
〝妻は同年、夫を代理人とし、安楽死の決定権は主治医に委ねるとした。21年、認知症と診断され、事前書面の作成に取り掛かる。意志表示ができなくなる日のためだった。
《自分で自分の人生を決定できなくなることは耐えられない苦痛》
認知症の自分がなるであろう姿を切々とつづり、決して望まないとした上で、訴えた。
《夫の妻でもいられない。夫とともに過ごし、人生の決断をしてきた。それができないならば、安楽死を求めます》”
2.11.25🔗安楽死は保険適用で無料、議論進む国の驚きの現実 家庭医が寄り添い可否を見極める
〝究極的な手段 デ・ヨング自身、将来の終末期を見据えた多くの患者から「安楽死を実施してくれるのか」と問われる。実際に安楽死を行うのは年1、2回。看取る患者の一握りにすぎない。「安楽死制度は、患者に安らぎを与えるもの。やってくれる医師がいるとわかるだけで安心するんです。
医師である以上、患者を治療し、命を救いたい。けれど、それがかなわないときもある。「希望する人がいて、それが患者の助けになるのなら」。究極的な手段としての意義を理解し、葛藤を噛み締めつつ日々向き合っている。”
3.11.26🔗「もう生きられない」パーキンソン病の夫の決断 家庭医NOでも第2の選択で安楽死へ
〝実は安楽死を決意した頃、家族の負担を懸念したケアマネジャーの勧めで、夫が老人ホームに入る話が進んでいた。
「彼は行きたくなかったし、私もできることなら行ってほしくなかった」。だからこそ、夫は固く意志を貫いたのかもしれない。妻は夫の思いやりをかみしめる。
「安楽死(し)なければ彼は今も生きていただろうけれど、瀕(ひん)死しの小鳥のように老人ホームでただ生きているだけだった。彼が耐えられなくなった時期に最期を迎えられたことに安堵(あんど)しています」”
4.11.29🔗年間9068件の安楽死が行われた国の「人生の最期」 耐え難い苦痛の回避か、自然な形か
〝19年11月に動脈瘤(どうみゃくりゅう)破裂の危険性が高まり、約6週間寝たきりの生活を送った。リハビリを重ね、ようやく歩けるようになったのは半年後。その後、原因不明の全身のかゆみにも襲われた。07年に手術を受けた心臓疾患の症状も悪化。安楽死を申請した当時は、顔が腫れ、両まぶたはほぼ開いていない状態だった。
「19年からの2年間は、まさに死んでいるような状態。耐え難い苦痛だった」
しかし、家庭医の判断を受けて改めてヘルマンを診察した心臓、血管外科、皮膚科の専門医は「意識がはっきりしている」「歩行できる」「普通に生活ができる」などと判定。「安楽死の段階ではない」と結論付けた。”
5.11.30🔗死への扉」を開けたのは全死者の5.4% 安楽死を法制化、検証する国と議論なき日本
〝安楽死や尊厳死に関し、日本ではまだ議論が深まっているとは言えない。人間の尊厳、最期の自己決定権にかかわる難問にいかに向き合うべきか。
ブアは言う。「高齢化に伴い、さまざまな問題が生じる。安楽死を制度化すれば解決できるものではない。ただ、議論が行われなければ次のステップには行けない」”