15日に「選択的別姓論議について」という記事を書きまして、今朝寝起きに「あたっ!ホームに貼ったリーフレットの紹介をしてない!!」と気が付きました。ずぼらで済みません。
以下にリーフレット記事の抜粋を載せました。詳細は、ホームに張り付けている🔗リーフレットをご覧ください
〇国民が求めているのは「選択的別姓制度」ではありません。最近の世論調査の結果(裏面参照)がはっきり示しているように、国民の7割が「選択的別姓制度」に反対し、最も多くの国民が求めているのは現在の同姓制度を前提とした上での「旧姓の通称使用」の法制化です。
国民の意思がこれほど明確なのに、どうして石破首相など一部の政治家は選択的別姓制度を推進しようとするのでしょうか。そこには「別姓制度」に対する根本的な事実誤認と家族の大切さへの認識不足があります。
選択的別姓制度」にはこんな問題があります
〇親子別姓が強制されます
選択的夫婦別姓制度のもとで、別姓を選択した夫婦の子供は父か母のどちらかの親と別姓となります。
夫婦は互いが合意の下で別姓を選択するという権利を行使するとしても、生まれてくる子供にとっては、一方の親との別姓を「強制」されることに他なりません。「
別姓」を推進する人たちは、結婚による改姓を「同姓強制」だと批判しますが、生まれたばかりの子供に「親子別姓」を強制してよいのでしょうか?
〇ファミリーネームがなくなります
姓は「個人の呼称」と同時に「家族の呼称」でもあり、姓が同じであることによって、一つのチーム、一つのファミリーであることが実感させられます。 姓はまさにファミリーネーム(家族共通の呼称)なのです。
選択的別姓制度では「家族共通の姓」を持たない家族を認めることとなり、姓は純然たる個人を表
すものになり、制度としての「家族の姓」は消滅してしまいます。
つまり同姓夫婦の姓も制度の上では純然たる「個人の呼称」となり、「家族共通の呼称」はなくなってしまうのです。
これは家族制度の「革命」であり「別姓を使用したい人は使用すればいい。同じ姓がいい人は同じ姓を選べばいい」という単純な問題ではないのです。
〇別姓制度になっても「家族の絆」は大丈夫?
石破首相は「夫婦別姓になると家庭が崩壊するというなんだかよく分からない理屈がある」と言っています。別姓制度で「家族の絆」「家族の一体感」はなくならないというのです。そんなに簡単な問題なのでしょうか。
もちろん「家族の絆」はファミリーネームだけで支えられている訳ではありません。愛情や信頼、思いやりといった精神的な要素は当然必要です。とはいえ、そうした目に見えない要素はときに揺らぐこともあります。そのとき、ファミリーネームが「目に見える制度」として「家族の一体感」や「家族の絆」を支える役割を果たしてきたのではないでしょうか。
選択的別姓制度のもとで同姓を選択した夫婦でもそれぞれが単なる「個人の名称」だという意識が定着していけば、家族が「一つの集団である」という意識は希薄になっていくことは確かです。
「家族共通の姓」がなくなれば当然「家族の絆」が弱まることは十分に考えられます。これは夫婦や親子関係がどうあれ、ファミリーネームをなくすことによって起こる制度の問題と言えます。
何と、タイミングの良い事でしょう。本日の産経新聞で百地章教授が同様の主旨の記事を書かれていました。
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〝夫婦別姓論議が急に台頭してきた背景には、経団連の提言(6月)が考えられよう。しかし、提言はもっぱら企業における経済的合理性の観点からなされたもので家庭や家族の視点は完全に欠落している。記者会見の折、経団連の幹部は「子供への影響は大変重要」だが、どうすべきかはまだ考えていない旨、回答している。
〝子供の視点から見たNHK放送文化研究所の中学生・高校生の生活と意識調査(令和4年)では、子供たちの91%が将来、「同姓を名乗りたい」と答えている。このような同姓を希望している多数の子供の思いは無視しても良いのか。この点、児童の権利条約では「児童の最善の利益が考慮される」(第3条)とされており、もっぱら親の利益を優先し子供には親子別姓を強制する選択的夫婦別姓制はこの条約にも違反する。”