川口の「難民」を騙るクルド人の人々に言いたいです。あなた方が日本で「難民」指定で長期の就労機会を得たいために、日本の左向きの人々の支援を受けて日本人の多くの人々から嫌悪感を持たれている事実、「あなた方は、日本とトルコの100年にも及ぶ信頼・友情の歴史を壊したいのですか?」
実は私も、「川口クルド人問題」をこのブログに載せるたびに、何故トルコ政府は何もしないのか?と思っていたのですが、浜田聡参議院議員が法務省から取り寄せた「トルコ現地調査報告」を読んで、以下のように理解しました。
①トルコ国にとって、貧しい地方では海外に出稼ぎに行くのは当たりまえ。
②ユーロでは、クルド人は「難民」ではなく「出稼ぎ」であることは認識されているのに、なぜ日本では「難民?」で問題になっているのか?
③「川口クルド人問題」について左を向いている日弁連の勧告書以前に、日本政府に「1985年、イラン・イラク戦争において在イラン日本人避難についてトルコ航空(政府)が助けてくれたという負の感情があったのかな?
ということで、記事です。
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1.🔗困難な時助け合う「雨天の友」 日本・トルコ100周年式典の秋篠宮さまお言葉全文
〝エルトゥールル号は帰路に遭難し、その特使であった艦長のオスマン・パシャはじめ多くのトルコ軍人が犠牲になった悲劇でありました。しかし、その際の日本側の懸命の救出援護活動は、日本とトルコ両国の交流の原点になったと言えます。そして、新生トルコ共和国が成立すると、直ちに両国間の外交関係が開設されました。”
〝日本とトルコは、一般的な交流にとどまらず、トルコ語の諺である「雨天の友」のように、困難な時に助け合う歴史を重ねてきました。エルトゥールル号遭難時に、和歌山県の大島村村民が救出にあたったことや、イラン・イラク戦争の際に、トルコ政府がテヘランの在留邦人救出のためにトルコ航空機を派遣してくださった事案は、互いの国に対する深い友情を示す証左と言えましょう。”
2.🔗邦人脱出に貢献「覚えていてくれてうれしい」 日本とトルコの歴史たどり、次世代とご交流
〝午後には宿泊先のホテルで、日本とゆかりのあるトルコ人と面会された。この席には、イラン・イラク戦争中の1985年、イランの首都テヘランに取り残された200人以上の在留邦人を移送したトルコ航空の関係者らが集まった。
当時、イラクが航空機の無差別攻撃を予告する中、トルコ政府の英断により、同国の救援機に多くの日本人が搭乗して難を逃れた。ご夫妻は、当時機関士や客室乗務員として脱出劇に貢献した人たちから詳しい状況を聞き、深い感謝を示されたという。”
この話には、日本外務省が日本の航空会社に救援機を出すことを打診したが、日本から救援機が飛ぶことはなかった。という寒い話が付いています。
次の記事は、岡田幹彦先生の「親日は隠して生まれた 第一章 日本トルコ友好の懸橋」です。