昨日のブログで、「多様性」を政府が推進していると書きましたが、1月11日に飯山陽氏が面白い記事を産経新聞に載せていました。
Diversity (多様性):人種や性別、国籍、宗教、価値観等が異なる人々が、一人ひとりの違いを「個性」として互いに受け入れ、尊重し、個性に価値を見出すことで、組織が全ての人にとって居心地の良い場所とすること。
政府が推進している「多様性」社会は私たち国民に幸せな将来を与えてくれるか?
飯山氏の記事では、「多様性の中には、『多様性を認めない』というのも含まれているが、推進派はそのことを認めないという矛盾がある。」ということから始まり、中東シリアでアサド政権を崩壊させた、国際的にテロ組織指定されているイスラム過激派「シャーム解放機構(HTS)」が今、「多様性」を語り、「持続可能な社会」の実現を語り、「シリア社会の全ての少数派と全ての階層を守ろうとしている」と「包摂性」を語っている。
つまり、今、世界中が危険な組織と認識している「シャーム解放機構(HTS)」さえも、世界で先進的な思想「多様性」「持続可能な社会」「包摂性」を自身の正当性としてのプロパガンダとして使う時代になった。
そして、そんな危険な「シャーム解放機構(HTS)」も認めざるを得ないのが「多様性」という言葉の罠であると語っておられるのです。
🔗の後の青文字をクリックすると記事に飛びます。
〝(前略)社会が、攻撃的だったり、排他的、暴力的、破滅的だったりする価値観も多様性の一環として認め、尊重し、受け入れてしまえば、共存どころかその社会の存在は危うくなる。あるいは、多様性社会は「多様性を認めない」という価値観も多様性の一環として認めなければならないのだから、自己矛盾を抱え込むことになる、という本質的問いも避けては通れないはずだ。 ”
〝多様性という概念が本質的に孕む問題について議論してこそ、日本社会は豊かに活力のあるものになるのではないかと私は考えるのだが、議論することすら許されない空気に何とも言えない閉塞感を覚える。いまの日本社会は、目指しているはずの多様性社会とは正反対の、「ひとつの意見」しか受け入れられない全体主義に傾倒しつつある。”