このページでは、私見の書き込みはしません。
🔗の後の青文字をクリックすると記事に飛びます。
〇🔗<浪速風>あすは「建国記念の日」 日本建国の由来と意味を深くかみしめたい
〝古事記の「中つ巻」は初代神武天皇の東征伝承から始まる。何れの地(ところ)に坐(いま)さば、天(あめ)の下の政(まつりごと)を平(たひ)らけく聞こし看(め)さむ―。九州南部にいた神武はどこを拠点にすれば天下の政治を無事に執り得るかを考え、東征に乗り出したと伝わる。
古事記は日向(宮崎県)を出発して海路で東進、苦難の末に橿原宮(奈良県)で即位したと書く。そして「辛酉(かのととり)春正月、庚辰朔(かのえたつついたち)」、現在の暦で紀元前660年2月11日に即位したことにより「是の歳(とし)を天皇の元年と為す」と日本書紀に記される。
戦前は紀元節という祝日だったが、終戦直後に廃止された。その後、建国の日がない国はないと復活機運が高まり、昭和41年の祝日法改正により再び祝日となった。”
〝先の大戦後、日本を再び強国にさせないという連合国軍総司令部(GHQ)の方針の下、国民の愛国心や団結心を養う制度やしきたりが次々に廃止されていった。”
〝建国記念の日はその一つといえる。もともとは「紀元節」といい、建国を祝う式典が各地で開かれていたが、昭和23年、GHQの圧力で廃止された。
国民の多くは存続を望んだ。27年に日本が主権を回復すると祝日法改正の動きが起こり、41年に国民の祝日として復活したのである。”
〝ただ、「建国記念の日」になってからは、祝日としての意義が国民の間に十分浸透しているとはいいがたい。政府主催の式典も開かれておらず、学校教育でもきちんと教えられていないのは残念である。”
〝日本はれっきとした独立国であり、占領政策を批判してもはじまらない。政府は、盛大な式典を主催し、国民が建国を祝い、力を合わせよりよき日本を作る契機にしてほしい。”
〇🔗<正論>紀元2700年をどう迎えるか 文芸批評家・新保祐司
無料会員記事です。
〝今年は紀元2685年にあたる。ということは、あと15年で紀元2700年の記念の年となるわけである。”
〝そろそろ、日本という国家と国民としての日本人は、この紀元2700年をどのように迎えるかを考えていく必要があるのではないか。”
〝しかし、私が危惧するのは、紀元2700年という日本の歴史の捉え方に向き合うことを避けようとする戦後の日本人の心性である。神武天皇即位の年を元年とする皇紀などに関わると世間から誤解されるのではないかと恐れるような萎縮した精神は、日本のアイデンティティーの保持を放棄してしまっていることに他ならないのではないか。”
〝紀元2700年の記念行事の企画の準備に取りかかるべきである。この奉祝を立派に成し遂げるという国家の意志と国民の気概がどの程度かが、日本という国家の存続と国体の継承にとっての重要な試金石となるであろう。”
〇🔗「建国記念の日」奉祝秋田県大会 伝統と誇りある国づくりを宣言
〝「建国記念の日」奉祝秋田県大会が11日、秋田市で開かれ、政府の主催による国民挙げての奉祝行事実施や安全保障強化のための憲法改正などを求める宣言を決議した。”
〇🔗昭和100年の今、「正しい皇位継承を」 群馬・高崎で「建国記念の日奉祝大会」
〝評論家で国士舘大大学院客員教授の八幡和郎氏が「昭和百年の今、皇位の継承を考える」との演題で講演し、(中略)八幡氏は皇位継承論議について、有識者会議が示した3案(①単独残留案=女性皇族が結婚後も単独で皇室に残る②旧宮家養子案=旧宮家の男子を皇族の養子とする③旧宮家皇族復帰案=養子不成立の場合)について国会での論戦状況を報告。各党3案におおむね賛成する中、立憲民主党が、①を単独ではなく夫も子も皇族とする女系容認論を展開。逆に②は憲法上疑義があるとして「話がまとまらない」と指摘した。”
〝現実的な可能性として②の養子案を挙げ、悠仁さまと同世代となる平成生まれの旧宮家男子は10人前後いるとして、準備を進めるよう強調した。”