ポーランド孤児の救済(4)
ポーランドの恩返し
平成七年、阪神淡路大震災がおきた時、その惨状にいたく同情したのが、駐日ポーランド大使館商務参事官スタニスワフ・フィリペック氏である。氏は、被災児童をポーランドに招いて慰めることを思い立ち方々に働きかけた結果、同年夏、小学校四年から中学校三年までの三十人をポーランドに招待した。この時ポーランド航空が航空券を無料で提供した。ポーランドではクラクフ市始め五つの市町村で三週間もの期間歓待してくれた。翌年夏にも三十人の被災児童が招待された。
二回目の接待のとき、ワルシャワでの「お別れパーティ」で四人の元孤児たちが子供らと対面した。みな高齢だったが、七十五年前日本に助けられた忘れがたい思い出を交々児童に語った。その一人ベロニカ・ブロピンスカさんは日本で貰った宝物のように大事にしていた桐の小箱とポーランド特産の琥珀の首飾りを当時の彼女と同じ十二歳の少女に贈り「日本の方に恩返しができて、こんなにうれしいことはない」と語った。
フィリペック氏は元はポーランド科学アカデミー物理学研究所の教授であり、ワルシャワ大学で日本語を学び東京工業大学に留学していた。父はドイツの強制収容所で殺された。祖母に育てられたが、祖母はことぁるたびに小さなヤポンスカ(日本)がロシアを打ち負かしたこと、シベリアにいたポーランドの孤児たちを救出してポーランドまで送り届けてくれたことを孫たちに聞かせた。それが氏の日本行きを決意させた。氏は大使館退職後帰国したが、平成十一年、ポーランドで最も古い伝統を誇る「ジェチ・プオッカ少年少女舞踊合唱団」の団長として再来日した。ジェチ・プオッカの公演は東京・高岡・広島・神戸などで行われたが、多くの日本人が公演を楽しんだ。神戸の公演では少し前ポーランドに招かれた子供らが駆けつけた。
さらに東日本大震災の時も同年夏、ポーランドは被災地の中高生三十数名を招待した。また被災した幼稚園の再建において多大な援助をしてくれた。尽力したツイル・コザチェフスキ駐日ポーランド大使もまた大の親日家だが、こうのべている。
「ポーランドでは昔から日本文化に対する憧れがあり、親日的な感情を国民の大多数が持っています。実は私は今、合気道や居合道を学んでいますが、ポーランドでも日本の武道はとても人気です。日本には『刀の文化』ともいうべき気高き精神が息づいています。 一方、ポーランドでも『剣の文化』ともいうべき騎士道精神が今でも尊重されています。また日本とポーランドは芸術的な感性が近いようにも感じます。ショパンの音楽を日本人がとりわけ愛して下さっていることは象徴的ですし、ポーランドから訪日した芸術家たちは『これだけ一体感を持って感激して下さる国民は日本以外にない』と口を揃えます。またポーランドの外食産業で今一番成長しているのが日本食であり、特に寿司の人気は目を見張るものがあります」
両陛下のご訪問
平成十四年七月、天皇皇后両陛下はポーランドをご訪問されたが、国を挙げての大歓迎を受けられた。最終日、日本大使公邸で答礼の会が催されクワシニエフ・ポーランド大統領夫妻ら数百人が招かれたが、その中に三名の元孤児たちがいた。男性一人(九十一歳)、女性二人(九十二歳・八十六歳)である。両陛下は一番初めに三人の老人のもとに歩み寄られ足の不自由な二人に坐るよう促され、 一人一人の手を取られ温かいお言葉をかけられた。対話が交されたが元孤児たちは感激して立上り、口々に「感激で胸が一杯です」「日本のおかげで今の私たちがあります」「日本での滞在はとても幸せでした」「日本はまるで天国のようなところでした」と語った。「自分たちを救い出してくれた」「日本はまるで天国のようなところでした」と語った。「自分たちを救い出してくれた美しく優しい国、日本にぜひともお礼を言いたい」「いつか恩返しがしたい」と八十年間思い続けてきた元孤児たちは、両陛下の前で思いが溢れ言葉が詰まりまぶたをにじませたのである。
両国民の回い絆
最後に両国民の深く固い絆につき二人のポーランド人の言葉を掲げよう。まずポーランドを代表する日本研究家であるワルシャワ大学東洋学部日本学科教授エヴァ・パワシュ=ルトコフスカ氏はこうのべている。
「ポーランド・日本関係史を研究すれば、すぐに日本人もポーランド人もお互いに強い親近感を抱いていることに気がつきます。遠く離れた二つの国がなぜ親しい気持を持つに至ったのでしょぅか。いくつかの理由があると思います。特に大事なのは精神面にある民族としてのアイデンティティ(岡田註・国家民族の本質・個性)や伝統の遵守、勇気、家族などに対する価値観を両国の人々は同じように理解していたことでしょう。もう一つ重要な理由は、実践面・政治面にありました。とりわけ大きかったのが『共通の敵』ロシアの存在です」
もう一人はポーランドを代表する世界的な映画監督アンジェイ・ワイダ氏である。ワイダ氏の父はカチンの森で虐殺されたポーランド軍の将校でぁった。氏はこの虐殺事件を映画にしている(「カチンの森」二〇〇七年)。平成八年、第八回高松宮殿下記念世界文化賞の受賞者だが、日本及び日本の美術・文化をこよなく敬愛し、古都クラクフに「日本美術・技術博物館」を建立するのに最も尽力した人である。両陛下はここを訪問されたが、その時ワイダ氏夫妻が出迎えた。
ワイダ氏は日本についてこうのべている。
「どうして日本に特別な関心を抱いたのか、いくつもの可能性があったにもかかわらず、なぜこんな遠い国に興味を持つことになったのかと、よく聞かれます。答えは簡単です。日本では心から親しみを持てる人々と出会いました。言葉も分からず習慣もほんの少ししか知りませんが、日本のことがとてもよく理解できるのです。日本人は真面目で、責任感があり、誠実さを備え、伝統を守ります。それらはすべて私が自分の生涯において大事にしている精神です。日本と出会ったお陰でこのような美しい精神が、私の想像の中だけで存在しているわけではないことが分かりました。そのような精神が本当に存在するのです」
ワイダ氏は東日本大震災に際し次の一文を寄せている。
「日本の友人たちへ。
このたびの苦難の時に当たって心の底からご同情申し上げます。深く悲しみをともにすると同時に、称賛の思いも強くしています。恐るべき大災害に皆さんが立ち向う姿をみると、常に日本人に対して抱き続けてきた尊敬の念を新たにします。その姿は世界中が見習うべき模範です。
ポーランドのテレビに映し出される大地震と津波の恐るべき映像。・・・それを見て問わずにはいられません。『大自然が与えるこのような残酷非道に対し、人はどう応えたらいいのか』私はこう答えるのみです。『こうした経験を積み重ねて、日本人は強くなった。理解を超えた自然の力は民族の運命であり、民族の生活の一部だという事実を何世紀にもわたり日本人は受け入れてきた。今度のような悲劇や苦難を乗り越えて日本民族は生き続け、国を再建していくでしょう』(中略)
日本は私にとって大切な国です。日本での仕事や日本への旅で出会い個人的に知遇を得た多くの人々。ポーランドの古都クラクフに日本美術・技術博物館を建設するのに協力し合った仲間たち。天皇、皇后両陛下に同行してクラクフを訪れた皆さんは、日本とその文化がポーランドでいかに尊敬の念をもって見られているか知っているに違いありません。二〇〇二年七月のあの忘れられないご訪間は、私たちにとって記念すべき出来事であり、以来毎年、私たちの日本美術・技術博物館では記念行事を行ってきました。
日本の皆さんへ。
私はあなたたちに思いをはせています。この悪夢が早く終って繰り返されないよう心から願っています。この至難の時を力強く決意をもって乗り越えられんことを」
父をカチンの森の虐殺で失い、その後ソ連の支配の下に苦難を嘗め尽したアンジェイ・ワイダ氏の肺腑の底からの日本人に対する同情と慰撫、敬愛と称賛そして熱い連帯の心情の吐露である。わが国に劣らぬ苦難と悲劇の歴史を乗り越えてきたポーランドは、日本民族同様不死鳥の民族である。
ポーランド民族よ、永遠なれ。
〈初出・『明日への選択』平成二十七年四月号〜六月号/ 一部加筆・修正〉