夫婦別姓問題で外国の事例を確認したりする際、別姓推進派の本を参考にすることがある。ちくま新書の『夫婦別姓―家族と多様性の各国事情』は各国で現地の男性と結婚している日本人女性(もちろん全員別姓推進派)が国別にレポートしたもので、各国の実情が分かって面白い。
例えば、別姓夫婦では子供は両親のどちらかと別の姓になるが、それは実に不便なことだという。
「子どもと姓が違うと、親子と証明するため子どもの出生証明書、または住民票を携帯する必要がある。特に飛行機に乗る場合は、証明書を求められることがある。姓が違うためにパスポートだけでは親子と証明できないからだ」(ドイツ)。
フランスでも「空港で、子どもの連れ去りではないことを証明するために、父親の合意書を提出させられ、……書類を失したら、誘拐したと言われても仕方ない」という。
別姓推進派は、結婚改姓すれば名義変更など手続きが煩わしいと言うが、欧州ではそんな手続きどころか親子を証明するという大問題が生じている。
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日本の推進派は親子別姓になっても諸外国では子供の問題は生じていないと言うが、現地からはこんな声が聞こえてくるという。
「……子どもの姓についての質問の余白に、母親から書き込まれたコメントの多くは姓の異なる子どもと自分との関係を示す難しさについてだった。子どもは父の姓という場合が圧倒的に多く、日常生活上、母親である自分と子どもを『紐付ける』簡単な方法がなくて困っている」(ベルギー)。
別姓でも子供の問題はないとはとても言えまい。
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中国の実情も興味深かった。中国人の夫と北京に住む日本人女性は完全な別姓である中国では「家族のつながりは日本以上に強い」という。確かにこの女性がレポートする義理の父母や夫との日常的な関係には強い繋がりが窺える。
この繋がりこそ「男女平等の夫婦別姓」の成果だとこの女性は主張するのだが、そんなに単純ではない。というのも親戚が持ってきた家系図に女性の子供は記載されているが、嫁であるこの女性も義母も記載されておらず、しかも皆それを当然視していたことがショックだったという。「男女平等の夫婦別姓」の内実は嫁は婚家に入れないという昔の父系血統主義のままと言える。
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実は、日本でも明治の初め庶民も公式に姓が名乗れるようになった頃、当時の内務省は武家の慣習だった夫婦別姓での戸籍作りを訓令・指導していた。それに対して地方から反対の声が上がり、夫婦同姓の民法と戸籍となった。
というのも、地方では明治以前から生活をともにする妻が夫の氏(姓)を称することが慣行として定着していたからだ。明治二十二年の宮城県の内務省への伺(問い合わせ)は「(妻は)嫁家の氏を称するは地方一般の慣行」と書き、翌年の東京府の伺では「婦は夫の氏を称」するのは「民間の普通の慣例」である。ところが内務省の訓令があるために「強いて生家の氏を称用せしめざるを得」なくなり、「習慣に反し……苦情も相聞こえ」て来ていると内務省を批判さえしている。その結果、明治の民法では家族は同一の氏となり、今日の同姓制度の原型が作られることとなった。
先に紹介した北京の女性は日本と中国をこんなふうに対比している。「中国が血に固執したのに対し、日本は明治以降、父系の血統よりも『夫婦の生活実態』による『夫婦の一体感』を重視して同姓制度を導入した。この『妻が同姓であることによる一体感』は確かに存在するし、このような『一緒にいる』感覚を大事にすることは悪いことではない」と。
日本の夫婦同姓制度は家族の一体感を守る上で優れているとの指摘は重要だ。(日本政策研究センター所長 岡田邦宏)
〈『明日への選択』令和6年10月号〉