このページでは、管理人が皆様にご紹介したい各所のホームページ等を載せています。

 青い字で書かれている部分はリンクでつながっていますので、クリックしてご確認ください

 管理人が知らない「有用なホームページ」をご存じでしたら、連絡フォームでお知らせください。


橿原神宮(かしはらじんぐう)

 神武天皇が日本の建国を成された橿原の地に建立された「橿原神宮」のホームページです。

 

 明治23年の建立で、国内ではあまり知られていない場所だと思いますが、日本人として、記憶に留めておくべきお宮だと思います。

 

 



明治神宮(めいじじんぐう)

 明治天皇と昭憲皇太后をお祀りする「明治神宮」のホームページです。

 

 管理人が特にご紹介したいのは明治神宮で無料配布も行われている「教育勅語」のページです。教育勅語を実際に読まれたことがある方は、本当に少数だと思います。

 教育勅語を語っただけで批判される話が今でも聞こえてきますが、批判される方々は、教育勅語のどの部分を問題とされているのでしょうか?実際に読んだことがあるのでしょうか?不思議でなりません。

 



湊川神社 (みなとがわじんじゃ)

 鎌倉幕府打倒を掲げられた後醍醐天皇(南朝)に忠誠を捧げ、後に北朝を立ちあげて皇位簒奪を企てた足利氏に対して、「七生報国」という言葉と共に一族を上げて戦い抜き、後世の日本国民が日本人の鑑、忠誠の手本として尊敬し、のちの明治維新の志士たちの精神的柱となった楠木正成公を祭る神社です。

 

 水戸光圀公が「嗚呼、忠臣楠子乃墓」と揮毫した墓碑があるとともに、水戸光圀公が始めた「大日本史」の編纂を通じて形成された水戸学の根本を成すのが、「楠木正成公」の『日本国が存在する大本に天皇が居られる』という思想だったと思います。つまり、明治維新の志士たちの思考原理が「楠木正成公」であるとともに、水戸藩出身の徳川慶喜公が学んでいた水戸学でも思考原理が「楠木正成公」だったというのが、徳川幕府と朝廷軍(官軍)による国内大乱をもたらさずに『明治維新』という大業を日本国が成せた根本原因と管理人は考えています。そういう意味で、こちらに「湊川神社」を掲載しました。(この文章は管理人の考えでしかありません。ご意見いただければ修正します。)

 



靖国神社(やすくにじんじゃ)

 中国、北朝鮮、大韓民国の近隣3国と左派マスコミが絡んでくることで有名な「靖国神社」のホームぺージです。

 

 管理人が特にご紹介したいのは「今月の社頭掲示」です。

 靖国神社に祀られている英霊の皆様が、ご家族に送られた最後の手紙が多数掲載されています。

 日本とご家族を守るために戦場に赴かれた英霊の皆様の純粋なお言葉とお気持ちを感じて下さい。



礼拝山 興亜観音(らいはいさん こうあかんのん)

 こちらはほとんどの方はご存じないかと思いますが、日本人として大切にしたい場所です。

 

 戦勝国の報復と言える極東軍事裁判(東京裁判)においてA級戦犯とされた松井岩根大将が「支那事変は友隣相撃ちて莫大の生命を喪滅す 実に千載の悲惨事なり……観音菩薩の像を建立し 此の功徳を以て永く怨親平等に回向し 諸人と倶に彼の観音力を念じ 東亜の大光明を仰がん事を祈る」と建立された観音像が祭られている、「礼拝山 興亜観音」のホームページです。

 松井岩根大将から観音像をお守りすることを委ねられた伊丹忍礼住職、奥様の妙真尼、伊丹家長女妙徳尼、三女妙浄尼が、檀家無し、一般の寄付を収入源に80余年お守りされていたことを思うと、感謝の念に堪えません。

 2023年、妙浄尼が入滅され、同年、住職代理 伊丹靖明師が不慮の事故で体調を崩されたことから、2024年、日蓮宗 運慶寺 田中智海師に法灯継承が行われることとなりました。

 

 管理人は浄土真宗で日蓮宗ではありませんが、そんな宗派違いの話ではなく、日本軍と中国軍が戦って多くの戦死者が出た戦地の土を日本に持ち帰ってその土で観音像を建立し、日中の平和を祈ったという松井岩根大将のお気持ちと、80余年、松井岩根大将の委託を受けたことをもって、この地を守ってこられた伊丹家の方々の、今どきの日本人では持ちえない【真心】が心を打ち、「礼拝山 興亜観音」をご支援したいのです。

 

※ 「七人之碑」:A級戦犯として処刑された七人の御遺灰が観音像の下に収められているそうです。これは別の話です。


住職代理 伊丹靖明師からお預かりし、公開の承認をいただきました「軍事郵便コレクション」の数々を皆様にご紹介します。